2004年晩秋、新卒以来勤めてきた会社を退職した。上司のありがたい配慮で、余っていた2か月間の有給休暇を消化してから辞めることになり、自由なロングヴァケーションが与えられた。ローマで暮らす――それ以外のプランはまったく心に浮かばなかった。
ローマでは語学学校に通うことにした。学校が探してくれたアパートは、ローマの東南、サンロレンツォという地区だった。近くにローマ大学のキャンパスがあるため学生が多く、新進気鋭のアーティストたちのアトリエなどもあり、若い息吹が感じられる場所だった。毎朝メルカート(市場)が開かれる広場に面した建物の5階で、簡素だが、窓からは美しい教会の塔が見え、その景色はまるで絵葉書のようだった。しかも、私が滞在した10~11月というのは、ローマ人いわく「最も美しい季節」で、日々変化する木々の表情に、うっとりしていた。学校へ通うのにバスやトラムという交通手段もあったが、あまりにも通学路となる街並みが美しいので、片道30分(つまり往復1時間)歩いて通うことにした。クラスメートは8人で、ドイツ人、トルコ人、フランス人など、年齢も16~60歳、男女比も半々という感じだった。そこでドイツ人のデイビッドと親しくなった。彼はライプチヒ出身の20歳。ベルリンで、写真学科を専攻している大学生だった。デイビッドという名前(イタリア語では「ダビデ」)と、美しいブロンドのクセ毛と澄んだ瞳、授業の前に毎日、リンゴをおいしそうにかじっている姿がキュートで印象的だった。
学校の帰り、時々、カメラを片手にローマの風景を撮るデイビッドの街歩きに付き合い、広場に座り込みながらいろんな話をした。家族のこと、夢、恋のことなど、まるで自分も学生のころに戻ったように。今から考えても、あのローマでの「ひとときの学生生活」は、本当に貴重であった。いつの間にか身につけていた社会的な鎧、やや歪んだ金銭感覚に気づいた。多くは、デイビッドとの会話を通して。私は彼ほど、人の言葉に耳を傾け、自然にやさしさを提示できる人を知らない。そこにはなんの邪念も感じられなく、気がつくとそばにいてくれるのだった。独立という新しい人生の出発を目前に、何を大切に生きていくか、自分の価値観を見つめ直すことができたことを感謝している。
デイビッドがベルリンに戻る前日、彼を含め何人かの仲間とサンタンジェロ橋で待ち合わせた。この橋にはサンタンドレア デッレ フラーテ教会にあるベルニーニ作の天使のレプリカが並んでいる。天使のようなデイビッドがそこに佇むのを見たとき、彼も彫刻の天使のひとつに見えた。「25歳になるころには、人の心がほっと温かくなったり、愛しさで胸が高鳴る表現がしたいんだ」普段は饒舌ではない彼が、いつになく熱くささやくと、彼の存在感はさらに増し、ローマのオレンジ色の灯りのように夕景の中でじんわりと輝いていた。
先日、久しぶりにデイビッドから手紙がきた。彼は、ディスプレイアーティストとして活躍し始めているようだ。同封されたパンフレットにあった作品からは、ふわっと人々を魅了する空気が伝わってきた。押し付けがましいところがなく、自然にその場を浄化し勇気付けてくれる。まさに、デイビッドそのものだと思った。私の前で、多くの人が自分の夢や計画を語ってきたが、時を越えてその思いを貫き実現する人はあまりいない。有言実行な天使に乾杯! 次なる熱いささやきを、夕暮れのサンタンジェロ橋で、また聞かせてほしいと思った。
